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奈良地裁は12月15日,奈良芸術短大非常勤講師である私の雇用関係確認を求める請求事件について「請求をいずれも棄却する」との判決を下した.この判決は勤務内容や奈良芸短の雇用実態を無視した不当なものである.
この裁判は,私が奈良芸術短大で6年間継続して勤務し,10コマの授業を担当し,カリキュラム作成や卒業制作展などの校務にも関わるなどの役割を果たしていた.ところが,大学は正当な理由もなく1997年2月20日付けの通知で突然解雇した.しかも組合 (大学には組合はなく,奈労連と大阪私大教連に加盟) との団体交渉を拒否して,奈良地裁に雇用関係不存在確認申請裁判を起こした.これに対し私の方も反訴したことから始まった裁判である.
この裁判の争点は,一つは雇用契約の更新拒絶について雇用権濫用法理が類推適用されるのかどうか,もう一つはこの法理が適用されるとして,更新拒絶に合理的理由があるのか,ないのか,の2点であった.1年契約の非常勤講師という形式をとっていても,その実態からして当然解雇法理が類推適用されるべきであり,解雇権の濫用であると主張した.
しかし判決は,非常勤講師と専任との差異をことさら強調し,専任並に勤務していた実態を否定している.そして,専任教員は重要な役職に就き,翌年度のカリキュラムの作成を担当し,教授会の代わりとされる連絡協議会に参加し,出勤時間が決められ兼職も禁止されていたとしている.だが出勤時間については,主任教授の証人調べの中で,専任教員も授業に間に合うように出勤しているだけで出勤時間は決まっていないと証言している.にもかかわらず,判決はそれは例外的なものとして,学園の専任教員の勤務拘束規定である8時30分から4時30分を鵜呑みにしている.規定上で専任と非常勤の差異が明らかであるなら,規定とかけ離れた勤務実態があってもかまわないという判断である.10コマの授業担当については,11コマ担当の非常勤もいるから「通常の非常勤よりも多いとはいえない」としている.カリキュラム作成などに関わったことについては,それを単なるシラバスの作成にすり替えて「授業を担当するものが行うべき当然の業務」と一蹴している.これは専任が1人もいない織物分野で,非常勤講師の中心となり専任教員的な役割を果たしていた現実の実態を理解しないものである.さらに連絡協議会が実質的に機能していなかったというこちらの主張に対して「これくらいの規模の大学においては,連絡協議会などがまったく機能していなかったとは認めがたい」と,裁判官の憶測のみで判断している.しかし判決の中で,連絡協議会は年間5,6回しか開かれず,教員人事やカリキュラム編成さえ議題にされていないことを認める内容になっている.これは連絡協議会が教授会的な役割を全く果たしていないことを認めるものである.また主任教授から「いずれ専任になってもらう」といわれたことについては「儀礼的な励ましの言葉というほかはなく,何ら拘束力も持たない」としている.これは,非常勤という不安定で安価な待遇によって専任的な業務を負わせながら,いずれ専任にという幻想を持たせて勤務に奨励させることを,裁判所が是認するものであり,許し難いものである.
この裁判は,大学で働く,非常勤講師はもちろんのこと,教職員にとって重要な意味を持つものであった.しかしこの判決は,この大学では,非常勤講師が専任的役割を果たしていたことや本来教授会が果たすべき業務を全く理解していない.非常勤講師の採用,更新についても,一方的な解雇 (雇い止め) や使い捨てが容易に行えるような判断をしている.これではどんなに専任的な職務を果たしていようとも,非常勤講師というだけで,いつでも解雇できる事になる.このような不当判決を認めることはできない.
私は,1審の敗訴にめげることなく,非常勤講師の生活や権利を守るためにも控訴して,この不当な判決を撤回させるよう闘いを継続していく決意である.
1999年12月15日午後奈良地裁において,吉田誠さんの奈良芸術短大非常勤講師への復職を求める裁判の判決があり,裁判所は大学側の解雇 (雇い止め) は必ずしも解雇権の乱用には当たらないとして,解雇無効ではなく,逆に吉田さんの請求を棄却する判決を言い渡した.大学非常勤講師の「雇い止め」無効訴訟ははいまだに勝訴の例がないのであるが,今回も残念ながらこの壁は破れなかったことになる.
同日夜に行われた「吉田誠さんを励ます会」の席上,判決の解説をされた吉田弁護士が「世の中にリストラの嵐が吹き荒れる中で,裁判所の側からは特に無体な解雇でなないではないかと受けとめられるような社会状況がある」と述べられておられたが,本当にそうであればこそ,吉田さんの勝利で世の中の流れに棹差したかったのだが残念な結果になってしまった.
もちろん今度の判決はただ残念であるばかりではなく,大学非常勤講師の不安定な身分と厳しい生活の現状をまったく無視しているという点で不当である.「励ます会」で回覧された判決文にざっと目を通しただけなので厳密なことは言えないが,判決は肝心な所で吉田さんの言い分をまったく認めていない.たとえば吉田さんは染め織りの分野では大学で中心的な役割を果たしており,毎年の授業方針の策定も吉田さんが行うのであり,学生の指導においても非常に熱心であることを認めながらも,突然の解雇を不当とはしない.そうして単年度雇用を5回も機械的に繰り返して継続的に雇用していることを認めながら,かつ吉田さんの担当科目の需要がなくなったわけでもないことも認めながら,これが事実上の継続雇用であり,雇用が継続されると期待することの根拠になりうることは認めない.逆に判決は専任教員と非常勤講師の「職務の違い」を持ち出しながらしかもその違いを十分に説明しえていない.拘束時間の有無や兼職の禁止などが,ともに大学で教育研究を担う者同士にとって何ほどの本質的な違いだというのか.また吉田さんの“収入”の問題にまで言及して,他に芸術活動による収入があり非常勤講師給与への依存度は高くないようなことを述べている.裁判官は,年間190万円の給与収入がなくなっても100万円ほどの給与外収入があれば十分であるとでもいうのだろうか.
周知のように,18才人口の急増から急減に転ずるポスト92年をにらんで,多くの私立大学は80年代後半から学部・学科の新設,再編と教職員構成の再編「合理化」を進めてきた.その大きな狙いとしては,教学面で変化に対応するためのフレクシビリティの確保と人件費の低減にあったが,そのために非常勤教職員の比重が高まり非常勤教務の常態化が促進,拡大された.現在全国で恐らく2万人以上の研究者・芸術家が大学等で非常勤を“職”として生活しているといわれる.しかもそれらの研究教育者たちは,よく知られているように非常に安い手当で,時には専任の倍以上の担当をこなしていても,1年雇用の繰り返しで更新されなければそれでおしまいという無権利な状態に置かれている.90年代にはいってから,東京,京都,大阪で相次いで大学非常勤教員の組合が結成されているが,その背景には専任の増員がさほど進まず,専任化の目処の立たない非常勤教員の層が専任の下で大学教学を支えるという構造が固定化している現状がある.
そうした中で吉田さんが敢然と裁判に訴える行為に出たことは,ひとまず残念な結果に終わったとはいえ,全国の多くの非常勤教員を励ます出来事であった.
しかし非常勤教員の低賃金・不安定・無権利状態を打開することは今後ますます重要な課題になっていくと思われる.文部省は「護送船団方式」の解消と称して,日本の大学定員のマクロ的コントロール政策を大幅に緩和している.加えて18才人口の減少も依然として進行するので,2005年ないし2007年には数字の上では大学志願者の全入が実現するという情勢が存在する.現に短期大学,地方にある大学,小規模大学を中心に大学経営の危機が現実になっており,大学の統合・整理が生じるとともに,存続する大学でも教育を非常勤教員に依存する構造がより強まると考えられる.
その一方で90年代にはいって大学院重点化が進み多くの大学で大学院の拡充が基本政策になっている.大学院の強化はより高度な専門的知識技能の養成や回帰教育などさまざまな目的があるが,この結果,研究者の過剰供給も一層拡大されることが予想されている.しかし今日のように劣悪で不安定な非常勤講師“職”という「労働市場」への参入を余儀なくされる若い研究者がそのもてる能力を十分に伸ばせるとはとても考えられない.これは次代の高等教育,学術研究の担い手を豊に育成する合理的なシステムをどう構築するかという課題にもつながることである.
現に働いている人々の生活と教育研究のためにも,またこれから育つ若い研究者のためにも,非常勤講師の使い捨てを許さず,抜本的な待遇の改善と地位の安定をかちとる運動は21世紀に向けて大変に重要である.
本判決は時代に逆行する不当なものです.では,どうしてこんな判決が出されたのでしょうか.昨今のリストラ・グローバル化攻撃の中で日米の資本層による日本の雇用規制に対する激しい攻撃がなされていますが,本裁判所もこの攻撃に影響されています.本判決は期間の定めのある契約は期間満了により終了するのが原則だと言うことを大変強調しています.そして,解雇権乱用法理の類推適用の範囲を極めて狭く限定しているのです.しかし,契約書が1年毎の更新であろうが特別な合理的理由がない限り,契約が継続されると期待するのが普通であり,当然のことです.短期雇用労働者の雇用継続について最高裁判所を含め判例が築き上げてきた法理はこうした立場に立ったものです.本判決は非常勤講師と専任講師との職務内容や待遇における違いを長々と執拗に述べていますが,このことは非常勤講師に対して解雇権濫用法理を類推しない理由にはなりません.それにもかかわらず本判決はいとも簡単に吉田さんには雇用の継続を期待する合理性がないとしているのです.非常勤講師が大学においてどのような状況に置かれているのか,どのようにして生活を支えているのか,どうして更新を繰り返しているのか,等について十分な検討がなされないまま不当な結論となっているのです.もっともこのことは,高裁でこの点をきちんと裁判官たちに理解させれば勝利判決を獲得できると言うことでもあります.大切な裁判です.組合員の皆さんの大健闘を期待します.
語学の非常勤講師をして今年で8年目になる.外国人である自分が,日本の非常勤講師の方とは違う経験をしてきたので,そのひとつを述べてみたい.
4年前のことである.まだ大学院で勉強していた私は,その年度の初めに,例年どおり奨学金の申請に取りかかった.当時自分には,同じ留学生であった妻 (奨学金2万円) と,保育園児のこどもがいて,生活を支えていたのが非常勤講師の仕事と奨学金であった.しかし,文部省のもっとも高い奨学金 (18万円) は,自分にはすでに縁がなかった.そうかといって,4万円から8万円までの各種奨学金をたとえ小額でももらえなければ,入国管理局でのビザの申請は困難であった.そうなれば,なにより肝心な日本での研究が続けられなくなる可能性が出てくる.果たしてその年度,奨学金はもらえなかった.ビザ申請の時期が迫った時,自分は非常勤講師の身分とその収入 (15万円程度) にいちるいの希望を託した.これで,入国管理局は,許可してくれるだろう.自分は書類にある「講師」と言う二文字には少しく自信を持っていた.ところが,揃えた書類を提出した窓口で言われた言葉が,耳を疑うような内容であった.「非常勤講師は,正式な仕事でないので,その収入も経済的源泉として認められない.」と.勉強時間を削り取りこの仕事に頑張っていた自分は,驚きとともに深く傷つけられた.その時,非常勤の「非」という一字の重みを改めて認識させられた.
その後,指導教官の助けで入国管理局の審査を何とか乗り越えた.以後数年間,非常勤をしながら学位論文を仕上げ,研究の方も新たな展開に入ろうとしている.しかし,非常勤という身分によって研究が制限されていることを,感じない日はほとんどない.ついこの間も,指導教官に参加して欲しいといわれた文部省のさる共同研究計画申請を「身分不相応」のため断念したばかりである.
時折,いままでの生活を支えてきた「非常勤講師」について考えることがある.その心境はまことに複雑である.感謝と感慨,失望と希望,様々である.やがて,それらが自らの進歩につながるだろうと思って,今日も仕事に励んでいる.